坂本龍馬が日本初の新婚旅行で訪れた塩浸温泉

坂本龍馬が妻お龍と訪れた、鹿児島県霧島市にある塩浸温泉をご紹介します。
この旅は、日本の新婚旅行の始まり言われています。

塩浸温泉とは

鹿児島県霧島市にある塩浸(しおひたし)温泉は、1806年ごろに鶴が傷を癒していたことから発見されたといわれる温泉です。
温口に塩のような沈殿物が付着することから、塩浸の名前がつけられました。

泉質は、ナトリウム・マグネシウム・カルシウム―炭酸水素塩泉で、溶存物質量が1kg中2,298mgという濃い温泉です。
加水、加温なしの源泉かけ流しのお湯に360円で入ることが出来ます。
この泉質特有の適応症として、キズ、火傷、慢性皮膚病などがありますが、特にキズに関しては江戸時代より効能が良く知られていました。

慶応2(1866)年、龍馬は西郷隆盛や小松帯刀の紹介により、寺田屋で負った傷を癒すために、霧島に湯治に来ました。
硫黄谷温泉、日当山温泉などにも宿泊していますが、塩浸温泉には最も長い11泊と7泊の合計18泊滞在し、湯治をしました。
妻のお龍を伴ってきており、これが日本人の新婚旅行の始まりと言われています。

江戸後期から温泉として親しまれていましたが、平成22年に塩浸温泉龍馬公園として新たに整備されました。

塩浸温泉龍馬公園

塩浸温泉龍馬公園にある史跡や施設をご紹介します^^

塩浸温泉

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

男湯は龍馬の湯、女湯はお龍の湯と名付けられています。
それぞれ2つの湯船があり、塩浸の湯鶴の湯という2つの源泉を楽しめます。
龍馬が浸かったお湯と同じ源泉は鶴の湯です。

温泉分析書の掲示は塩浸1号のみで塩浸の湯だと思われますが、鶴の湯もそんなに変わらないかな?
加水なし、加温なし、消毒あり、循環ろ過なしのお湯です。

この一帯は泉質が最高の温泉が多く、この日私は妙見温泉で既に2件入浴しており笑、入浴は見送り笑
また来ると思いますのでリベンジしたいですね^^

志おひ多しの川桟敷

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

「志おひ多し」とは塩浸のことで、龍馬の当て字です。
昔は当て字が普通でした。
以前は、次に述べる龍馬が入ったであろう最古の湯船を近くで見れませんでしたが、2015年にこの「志おひ多しの川桟敷」が整備され、間近で見ることが出来るようになりました。

龍馬が入った?最古の湯舟

塩浸温泉に残る江戸時代からの最古の湯船が、石坂川沿いに残っています。
上の画像の真ん中で、「龍馬風呂」と掲示されています。
他にも多くの湯船があったそうですが、おそらく龍馬とお龍もここに浸かったかな?
入浴は出来ませんが、是非手を突っ込んだりしてみましょう^^
たまに、この辺りを住処としているカモたちが入っていることも・・・笑

龍馬が実際に歩いた階段・龍の背坂

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

龍馬が訪れた当時、現在のように石坂川沿いに道はなく、塩浸温泉に来るには崖上の集落から階段で降りてくるしかありませんでした。
ここが谷の湯と呼ばれることもあった所以で、まさに渓谷の底にある温泉なのです。
これは上から撮った写真。普通に断崖絶壁です笑

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

龍馬が歩いた当時の階段は龍の背坂としてそのまま残っており、今でこそ手すりがありますが、急で滑りやすいしなかなかスリリング!
下に見えるのは龍馬資料館や足湯ですよ。

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

こちらも龍馬が実際に歩いた階段。
途中に岩抱き杉、上には塩浸温泉神社があります。
苔むしている感じがとても良い(ただし滑りやすいので注意!)

龍馬資料館「この世の外」

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

200円で入れる龍馬資料館には、龍馬の書簡の複製が展示されており、撮影もOKとのこと。
資料館の方が丁寧に色々教えて下さいます。

龍馬が姉乙女に送った手紙には、この霧島旅行についてこのように書き記しています。
赤字で囲った部分です。

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

原文のままだと「實此世の外可とおもわれ候ほとのめつらしき処ナリ

実にこの世の外かと思われるほどの珍しい所だ!
ということで、この資料館の名前の由来となっています。

資料館内には大河ドラマ龍馬伝で実際に使用された天の逆鉾のレプリカや、福山雅治さんが着た衣装もあります。
資料館の方に着させていただき、手慣れた感じで龍馬ポーズをとらされ笑、写真撮影もしていただけます。
とても龍馬愛を感じる資料館でした^^

龍馬とお龍の縁結びの足湯

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

足湯は誰でも無料で入れます。
私が入った時は35℃ほどのぬる湯で、霧島ゆ旅のアヒル隊長がいっぱいいました笑
黄色いのが全部そうですねw 可愛い。
温泉たまごも食べられますよ。

坂本龍馬・お龍新婚湯治碑

坂本龍馬とお龍の日本初の新婚旅行塩浸温泉レポート

「近代日本の礎を築いた龍馬ゆかりの地に、町内外の浄財を仰ぎ、この像を建て後世に伝えるものである」
とあり、平成元年に建てられた龍馬たちの新婚湯治の碑です。

塩浸温泉滞在中の龍馬の様子が分かる資料

姉乙女あての手紙(慶応2年12月4日)

【原本】重要文化財 龍馬書簡 慶応2年12月4日 坂本乙女宛(京都国立博物館蔵)

先に一部ご紹介した手紙です。
旅行は慶応2年3~6月ですが、その年の12月に、姉乙女に対してとても楽しそうに霧島旅行を報告しています。

谷川で釣りをしたこと、ピストルで鳥を撃ったこと、霧島の温泉に行ったこと、高千穂峰にお龍と登り、天の逆鉾がとても面白い顔つきで二人して大笑いしたことなどを絵入りで報告しています。

雑誌『キング』昭和4年3月号「或日の龍馬」

「或日の龍馬」は、高知県香美市の吉井勇記念館が保存していた雑誌『キング』昭和4年3月号(第5巻3号)159~164ページに掲載された文章で、2009年に発見されました。

龍馬の霧島旅行に案内役として同行した薩摩藩士吉井友実の孫・吉井勇の筆によるものです。
吉井勇の父は11歳だった時に、霧島旅行中の龍馬について一緒に釣りなどを楽しみました。
晩年、息子の吉井勇にこの時の様子を語った内容が「或日の龍馬」としてまとめられました。

以下は「或日の龍馬」の一部抜粋・要約です。
龍馬とお龍の様子が分かり、微笑ましいです笑

「おい坊主。一緒に来い」
例の通り坂本さんはぶっきらぼうな調子でそう言って、私を連れてぶらぶら懐手をしながら近所の森へ出かけてゆく。
無論お龍さんも一緒で、しなだれるように寄添って歩いているかと思うと、急に怒ったように離れてしまっていつまでも口を利かずにいるようなこともある。
とにかく私は子供心にもお龍さんが一風変わった女のように思われてならなかった。が、坂本さんにはその変わっているところが気に入っているらしい。
(略)
坂本さん夫婦の間には、何か気まづいことでもあったらしく、二人とも妙に沈んでいるのが、子供の私にもはっきりと分かった。
「お龍さん。」
坂本さんは何を思ったかそううめくようにお龍さんの名を呼んでから、突然森の奥の方をめがけて続けざまにピストルを二三発撃った。
で、暫くじっと凄まじいこだまの音に耳を傾けていたが、急に体を揺り上げるようにして、大きな声を立てて笑い出した。
「ははははは、もういいよ。もういいよ。お龍さん。さあ、仲直りをしよう。」
お龍さんの手をじっと握った坂本さんの目からは、私にとっては思いがけない涙がとめどなく頬を伝って流れ落ちた。
私達はそれからまた更に山奥の霧島温泉に行き、坂本さん夫婦はそこにいる間に二人きりで霧島山に登った。
その時は二人もう仲が良くて、降りて来てから父に向かって、頂上に立っている天の逆鉾を二人で抜いて見たということなどを笑いながら話していた。

龍馬の新婚旅行日程

塩浸温泉龍馬公園の公式資料から抜粋した、新婚旅行日程(前後含む)です。
とても詳細な日程で見ていて面白いですが、これらを歩いてめぐったなんて足腰強すぎます笑

※日付は旧暦です

1/21 薩長同盟成立。会談は龍馬到着が遅く、龍馬不在のまま京都薩摩藩邸で開かれた。
1/23 24日未明午前2時頃、京都伏見寺田屋で三吉慎蔵と共に幕士に襲われ手傷を負うもののピストルで応戦して危機を脱す。大山彦八に救出され薩摩藩邸に囲われる。西郷は兵一個小隊と医師を派遣。
2/5 薩長連合の確認を求める桂の書簡に裏書きす。
2/12 中岡慎太郎入京。龍馬32歳、この頃中岡の仲人でお龍との結婚を正式に披露。この頃西郷・小松に霧島に傷によく効くという評判の塩浸温泉湯治を勧められる。
2/29 龍馬はお龍を連れ、鹿児島に向け京都を出立。
3/1 大阪間の薩摩蔵屋敷に着く。船支度を待つ。
3/4 薩船「三邦九」に乗船。小松、西郷、桂久武、吉井友実等と鹿児島に向かう。中岡慎太郎、三吉慎三も同道。縁結びのこの旅が日本人の新婚旅行第1号となる。二大雄藩の薩長連合が成り、お龍を得この先は薩摩を目脂して遊覧の旅。時まさに、爛漫の春である。
3/6 下関で中岡・三吉下船。下関に泊まる。
3/9 長崎に寄る。
3/10 鹿児島着。西郷、小松、吉井邸に泊まる。
3/16 吉井友実が誘い、龍馬夫妻塩浸温泉へ。小松帯刀夫妻は3月14日より4月8日まで、25日間霧島栄之尾温泉へ湯治に出発。穏やかな錦江湾に雄大に浮かぶ桜島を眺めながら船で浜之市港へ。日当山温泉へ泊まる。
3/17 この日より塩浸温泉で11泊し手傷の治療をす。この間、月日は特定できないが、和氣清麻呂公史蹟に立ち寄る。史蹟といっても斉彬公お手植の松があっただけ。しかし犬飼滝と渓谷を見下ろし、右手に桜島、左手に高千穂峰を望めるこの場所は絶景であった。蔭見滝(犬飼滝)や塩浸温泉「この世の外かと思われ候ほどめづらしき所なり。谷川の流れにて魚を釣り、短筒で鳥を撃つ。誠こおもしろかりし。」(姉乙女に宛てた手紙より)と記されている。塩浸の谷は岩つつじが満開の頃であり、近くの安楽や妙見の温泉、和氣湯など温泉巡りもしただろうし、ニ人は遠い京のことなど忘れ、一生で一番楽しい幸せな日々であっただろう。
3/28 龍馬夫妻、吉井友実の案内で、栄之尾温泉の小松帯刀の見舞いに行く。牧歌的な萱葺きの家が続く中津川路。行く春の風を体いっぱい受けながら、真正面に見える霧島連山に向かって歩いた。足もとには菜の花やれんげ・桜の花が咲き、鳥が鳴き、水ぬるむ春の真っ盛りの中津川街道。和氣公やこの地を13年前に訪れ没後8年たった島津斉彬公の実績を偲びつつ、ただのんびりと岳の温泉をめぎした。硫黄谷温泉泊。
3/29 龍馬夫婦念願の高千穂登山。途中高千穂峰を矢立でスケッチする。馬の背越えではあぶなくてお龍の手を引く。天の逆鉾に笑い、おびただしい霧島ツツジに感動。霧島神宮を参拝し、御神木の樹齢千年近い大杉を見る。華林寺泊。
3/30 再び硫黄谷温泉泊。吉井友実が待っており、同行して4月1日塩浸温泉へ帰り7泊する。
4/8 日当山温泉に帰り3泊する。
4/11 浜之市に帰り船待ちで1泊するも、宿は不明。
4/12 浜之市より乗船。鹿児島へ帰る。小松帯刀原良別邸へ約50日間滞在するも毎日どこで何をしていたかは、記録がないため不明。
4/14 開成所に行く。5月1日桜島丸来る。
5/19 寺内氏より四両三歩の金を借用し、短刀合口をこしらえる。
6/4 龍馬夫妻は桜島九にて天保山より出港、帰途につく。

塩浸温泉へのアクセス

住所 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606
電話 0995-76-0007
HP http://siohitasi-ryouma.seesaa.net/
時間 日~火:9-18:00(温泉受付17:30まで)
月:9-17:00(温泉受付16:30まで)
※月曜が祝日の場合は18:00まで
休日 年中無休
料金 温泉:大人360円・小人140円
資料館:大人200円、小人100円
駐車場無料

おわりに

龍馬好きの方には必須スポットであろう塩浸温泉。
私は妙見温泉に来たついでに、そうだ龍馬の塩浸温泉にも行こう!と思い立って寄ってみたのですが、見どころが多くて充実していました。
ぜひまた訪れて、鶴の湯に入りたいですね^^
旅行の際は、近くの妙見温泉や霧島温泉も極楽の湯なのでオススメです。