浅葱色のダンダラ羽織はダサい?!本物の新選組は黒装束だった

現在では、新選組といえば浅葱色で袖に山形の羽織が有名ですね。
ドラマや漫画などでも、ほぼ例外なく彼らは浅葱色の羽織を着ています。

しかし!
史実ではこの羽織、土方歳三はもちろん隊士たちにも不人気で、誰も着なくなった代物なのです。
良かった、ダサいよね?って思ってたの私だけじゃなかった←

では、なぜあの羽織は生まれたのか?
本物の史実の新選組は、どんな服装だったのか?

見ていきましょう。

ダンダラ羽織はいつ作られたのか

新選組の前身となる壬生浪士組は、文久3年に3月12日に京都で誕生しており、人数は15人でした。
直後の4月2日、芹沢鴨と近藤勇が、大坂の平野屋五兵衛方で100両を押し借りしています。
この100両を元手に、京都の大丸呉服店で例の羽織を作らせており、4月21日以前までに受領しています。

つまり、文久3年4月2日~20日の間に作られました。

なお、鴻池で200両を押し借りした説もありますが、こちらの出典は二番隊長永倉新八の後年の回想によるもので記憶違いと推定されています。
また、新選組の屯所前川邸の夫人が呉服商菱屋の娘だったので、菱屋に作らせた説もあります。

誰がデザインしたか?

史実では不評で誰も着なくなったというあのデザイン、一体誰が考案したのでしょうか?
大丸(or菱屋)に完全お任せだったのでしょうか?

発注した壬生浪士組(のちの新選組)側の人間がある程度デザインしていれば、ダサくてすぐ着なくなるなんて事態は防げた気もするのですが、誰が考案したデザインなのかは不明なんです。

史実で語られる隊服のデザイン

永倉新八によると、デザインは歌舞伎の忠臣蔵から取った

新選組二番組組長・永倉新八の『新選組顛末記』にはこうあります。

浅黄地の袖へ忠臣蔵の義士が討入りに着用した装束みたようにだんだら染を染め抜いた。

デザインの考案者が誰なのかは不明ですが、歌舞伎の忠臣蔵で四十七士が着ているようなやつで!と注文したようですね。

芹沢局長は忠臣蔵が好きだったといい、芹沢局長がそう注文したのか?
もしくは近藤局長が、徳川の忠義の士!という組織のイメージにぴったりな忠臣蔵を、是非にとデザインに取り入れたのか?
真相は不明ですが、どちらかがそう注文した可能性はありますね。

会津藩士・広沢富二郎

文久3年4月21日、京都から大坂に行く将軍家茂の警護のため、会津藩士広沢富次郎が会津藩お預かりだった壬生浪士組を引き連れて大坂へ向かっています。
その際の様子を、「浪士時に一様の外套を製し長刀地に曳き或いは大髪頭を掩へ」(『鞅掌録』)と記録しています。

会津藩士山川大蔵も、この日浪士たちが同様に揃いの服装であったことを記録しています。

八木為三郎

新選組が屯所とした京都壬生の八木邸の次男・為三郎は、「浅黄の薄い色のぶっさき羽織で、裾のところと袖のところへ白い山形を(中略)染め抜いてあるのですが、大きな山で袖のところは三つ位、裾が四つか五つくらいでした」(『新選組異聞』)と語っています。

八条隆祐卿

公卿・八条隆祐の手記には、「羽織は浅葱にて、誠という字を染め込みありし由」(『八条隆祐卿日記』)とあります。

どの位置かは不明ですが、今日でも有名な「誠」の字が入っていたことが分かります。

会津藩士・鈴木丹下

文久3年8月18日に、京都御所で八一八の政変が起こります。
その時に御所に出動し、羽織を着た新選組隊士たちを目撃した会津藩士は、「浅黄麻へ袖口の所計白く山形を抜候羽織を着し」(『騒擾日記』)と記録しています。

八木為次郎は裾と袖に山形が染め抜いてあったと証言していますが、こちらは袖口だけとのことで、最低でもこの2パターンがあったことが分かります。

新選組副長・土方歳三が嫌がった?

土方歳三はこの浅葱色のダンダラ羽織を嫌い、一度も着なかったと言われます。
確かに、おしゃれ番長のような土方さん、着なかったと言われるとうなずいてしまいます笑

最後に目撃されたのはいつ?

文久3年4月に誕生した隊服ですが、いったいいつまで着られていたのでしょうか。
最後に目撃されたのは、元治元年6月、池田屋事件の二日後です。

となると、新選組隊士が浅葱色のダンダラ羽織を着ていたのは、初期のほんの一年二か月ほどだけということになります。

なぜ着用しなくなったか、その理由は定かではありませんが、

  • その後粛清した芹沢局長がデザインした羽織を、土方さんが嫌った
  • 単にダサかったから、作ってしまった分は仕方ないけど、その後の新調はしなかった

このあたりが理由かなと想像します。

その後、どんな隊服を着ていたか?

以降、史実の新選組は黒装束であったと言われます。
黒装束なんてかっこいいですね~!

確かに、浅葱の羽織に、金の誠の字に、赤の旗・・・って色キチガイのようです←
黒装束に誠の旗ならかっこいいですね。

冷静に考えれば、新選組は表向きには今でいう警察組織ですが、暗殺などの汚れ仕事も行っていたわけですから、スカイブルーの派手な隊服なんて、あまり現実的ではなかったのでしょう。
目立ちますから敵に自らの位置を教えてあげるようなものかもしれません。

というわけで、黒装束が一番実践的であり、それを新選組が使用していたのも合理的で納得です。

おわりに

現代の新選組は、浅葱色の羽織が定番化しています。
時代まつり等でファンが着るにしても、浅葱色の方が目を引くしトレードマークになりやすいですよね。

しかし、実際に新選組が長く着用していたのは黒装束でした。
今後、黒装束で統一された新選組のドラマなんかが出てくると、逆に斬新で見てみたいですね。
少なくとも、土方さんファンの方は、浅葱色の羽織でなく黒装束推しがいいかもしれません笑