坂本龍馬・北添佶摩など土佐志士寓居跡

坂本龍馬・北添佶摩など土佐志士寓居跡

2010年5月に建碑されており、正面に「坂本龍馬・北添佶摩など土佐志士寓居跡」左右に「大仏(方広寺)旧境内南限」「池田屋事件もうひとつの舞台地」と刻まれています。

この碑の場所は、幕末、現在より広大であった方広寺境内の南門でした。
その南門前付近に、河原屋(瓦屋?)五兵衛の隠居所があり、そこに坂本龍馬、北添佶摩、中岡慎太郎、望月亀弥太、大利鼎吉、池内蔵太など土佐の志士たちが同居していました。

ここで賄いをしていた貞(てい)の娘が、のち龍馬の妻となるおりょうです。
おりょうの妹・君江も同じく賄いをしていました。
ここが、坂本龍馬とおりょうの出会いの地であると言われる所以です。

元治元年6月5日の池田屋事件で、新選組に襲われた北添佶摩は自刃します(享年30)。
また、この場所も土佐の志士たちの住居ですから京都守護職などの役人に踏み込まれ、貞や君江は連行され、のち釈放されています。(龍馬は不在でした)

龍馬とおりょうは、その約2ヶ月後、青蓮院塔頭金蔵寺で内祝言を挙げています。

坂本龍馬・北添佶摩など土佐志士寓居跡

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