近衛家別邸・御花畑御屋敷跡(小松帯刀寓居跡・薩長同盟所縁之地)

近衛家別邸・御花畑御屋敷跡(小松帯刀寓居跡・薩長同盟所縁之地

この場所は、近衛家別邸御花畑屋敷で、幕末には薩摩藩島津家が借りて使用していました。
40室ほどある二階建ての大邸宅で、小川を引いた庭や花壇、茶室などもあったそうです。
幕末の島津家当主・茂久の弟珍彦(うずひこ)が上洛した際に使用されたほか、薩摩藩家老小松帯刀の寓居跡として知られています。

御花畑御屋敷の場所は長く不明でしたが、2016年に鹿児島市の県歴史資料センター黎明館の収蔵資料より絵図が見つかったことでこの場所と判明し、2017年3月に建碑されました。
薩長同盟が結ばれた地は、この御花畑御屋敷か、二本松薩摩屋敷が有力地とされています。

屋敷は、南北55m、東西140mの広大な敷地でした。
現在碑が建っている場所は、屋敷の北西の角になります。

慶応2年1月21日の薩長同盟に先立ち、桂小五郎(木戸孝允)らがここに宿泊し(「桂久武日記」)、その後、坂本龍馬も合流し、小松、西郷、木戸らが会見し、薩長同盟となりました。
慶応3年7月1日には、西郷隆盛と大久保利通が、ここから五山の送り火を見たそうです(「新納立夫日記」より)。

近衛家別邸・御花畑御屋敷跡

なし
なし
なし
なし