西郷隆盛が眠る南洲墓地
明治10年2月に始まった西南戦争は、7ヶ月後の9月、総大将・西郷隆盛の自刃により幕を閉じます。
その遺体は、当時の鹿児島県令(知事)岩村通俊が官軍の許可を得て、浄光明寺=現在の南洲墓地に仮埋葬しました。
西郷隆盛と一緒に亡くなった39名についても同様に仮埋葬し、他120名については鹿児島市内5か所に仮埋葬されました。
明治12年、これらの遺骨をまとめて現在の場所に改葬し、明治16年には九州各地の薩軍戦没者の遺骨も集めて、現在、2023名が眠る南洲墓地となっています。
合同墓もあり、墓石は749基です。
西郷隆盛のお墓は、明治天皇の東京を向いており、桜島も望めます。
一緒に眠る人たち
- 桐野利秋
- 篠原国幹
- 村田新八
- 辺見十郎太
- 別府晋介
- 桂久武
西郷隆盛を祀る南洲神社
西郷隆盛を慕ってお墓を参る人が絶えず、明治12年には墓地の横に参拝所が設けられました。
のち、大正11年に南洲神社となっています。
なお、南洲公園内に、西郷南洲顕彰館、南洲墓地、南洲神社があります。
勝海舟の歌碑
「ぬれぎぬを干そうともせず子供らが なすがまにまに果てし君かな」
南洲墓地(西郷隆盛墓)
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