京都幕末ゆかりの食事処一覧!坂本龍馬や新選組に思いをはせる

幕末京都、志士たちが闊歩した都には、今も営業している老舗料亭や、事件の跡地に建つ店舗などがあります。
現在のお店の味、建物、場所が、幕末当時と直接関係あるのかをポイントにリスト化しました。
幕末に思いをはせて、食事をしてみてはいかがでしょうか。

幕末当時と同じ建物のお店

建物が当時のままであったり、一部残されているお店です。

料亭幾松

桂小五郎幾松寓居跡

通りに「桂小五郎幾松寓居跡」の碑が建っており、築200年の建物は登録有形文化財となっています。
幕府に追われていた桂小五郎の寓居跡とあって、抜け穴やつり天井などいろいろな仕掛けが残されており、お食事の前には説明付きで一部を見せていただけます。

【追記】
2020.10.20 閉店 公式サイト:http://www.ikumatsu.com/
2021.1 幾松の元料理長のお店「厨幾松(くりやいくまつ)」オープン
2024.1 厨幾松 閉店

志る幸

京都志る幸古高俊太郎邸跡

古高俊太郎邸の跡にあるのが、昭和7年創業の汁もの専門店志る幸です。
お料理は幕末と関係ありませんが、店内には古高俊太郎邸だった当時の建物が一部だけ残されています。

公式サイト:http://shirukou-kyoto.jp/reason.html

山ばな平八茶屋

創業は天正年間という400年もの歴史ある老舗。
岩倉具視が隠棲していたころにお酒を買いに行っていたお店で、多くの志士たちも出入りしました。
新選組に目をつけられて嫌がらせも受けたといい、母屋の入り口にはその時の刀傷が残っています。

公式サイト:https://www.heihachi.co.jp/

幕末当時と同じ味のお店

志士たちが食べた味を、今でも味わえるんです。

鳥彌三

天明8年(1788)創業の水炊き専門店で、龍馬も食べていたと伝わる水炊きです。

魚三楼

明和元(1764)年創業の京料理老舗です。
各藩の大名屋敷の料理方や、
鳥羽伏見の戦いの際には官軍の台所番を務めていました。
このため店は焼かれずに済み、表の格子には鳥羽伏見の戦いでついた弾痕が保存されてます。

公式サイト:http://www.uosaburo.com/

瓢亭

南禅寺にある瓢亭は、新選組も利用した創業400年の老舗高級料亭です。
現在も半熟煮抜き玉子「瓢亭玉子」が人気ですね。

龍馬の暗殺現場に、瓢亭の下駄が残されていた逸話でも知られます。

公式サイト:http://hyotei.co.jp/

幕末関係の跡地に建つお店

味も建物も関係なくても、場所が同じだけでときめくのが史跡好き!(?)
跡地に建つ食事処をピックアップしました。

長州藩邸跡:京都ホテルオークラ

長州藩邸跡にある京都ホテルオークラ

長州藩邸跡にあるホテルオークラ。
敷地内には長州藩邸跡の碑や、桂小五郎、伊藤博文の銅像があります。

食事は京料理はもちろん、中華、鉄板焼き、フレンチなどがあります。

公式サイト:https://www.hotel.kyoto/okura/restaurant/

池田屋跡:池田屋はなの舞

京都池田屋跡はなの舞の大階段

池田屋事件のあった長州藩定宿・池田屋跡に建つのが、飲み屋さんのはなの舞です。
この場所は、志士の祟りでお店を出しても続かないと言われてきた場所ですが、はなの舞は不敵にも池田屋の名を冠し、階段落ちで有名な画像の大階段まで再現しているのに、結構長く続いています笑

私が飲みに行った際は、メニュー表にど~んと一文字三星を見つけて、「池田屋って新選組新選組言われるけど、長州定宿だった名残を感じるな~」なんて安心したものです。

と、思ったのもつかの間、なんと刺身盛りは大階段落ち仕様!
何とも言えない気持ちでいただきました笑

食べログ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26013306/

近江屋跡:かっぱ寿司 京のとんぼ店

回転寿司チェーン店ですね。
龍馬を意識した土佐関係のメニューや日本酒があるそうです。

幕末関係の逸話があるお店

その他、幕末好きならちょっと気になるお店をまとめました。

鳥新

坂本龍馬が暗殺された日、峰吉が龍馬の頼みで軍鶏を買いに行ったお店は「木屋町四条の角、高瀬川にかかる四条小橋のたもと」にあった鳥新です。
現在、祇園四条にある鳥新は明治中期の創業で、坂本龍馬とは関係ありません。

が、全く関係ないわけではなく、峰吉が買いに行った鳥新は鶏肉の小売り兼料理屋で、上鳥羽にある養鶏場から鶏肉を仕入れており、こちらの養鶏場のご子孫が今の鳥新ということです。
ですので、大元の鶏肉は同じかもしれません・・・が、やはり軍鶏ではありません。

ちなみに、長州藩御用宿であり高杉晋作も宿泊していたお茶屋・魚品楼の跡は、現在、鳥新の駐車場になっています。
魚品楼は元治2年の大火で焼失しましたが、再建されて大まさという料亭になり、晋作遺愛の一部屋が保存されていました。しかしその後取り壊され、現在に至っています。

公式サイト:http://torishin.my.coocan.jp/

明保野亭

京都三年坂明保野亭坂本龍馬の定宿

坂本龍馬の定宿で、長州藩の志士も多く出入りした明保野亭。
今も幕末当時と同じ名で続いていますが、場所は現在より少し北東にあったと言われており、建物も改装されているようです。

龍馬にちなんで、龍馬御膳をいただくことが出来ます。

公式サイト:https://akebonotei.jp/

清水寺境内:舌切茶屋・忠僕茶屋

清水寺境内にある二つの茶屋は、清水寺塔中の成就院住職であった月照上人・信海上人兄弟と、この二人に仕えた近藤正慎、大槻重助という人物に由来する茶屋です。

安政の大獄で追い詰められた月照と西郷隆盛は薩摩で入水自殺を図りますが、西郷のみ生き残ります。
この時同行していた大槻重助は、月照の遺品を京に持ち帰り、生涯そのお墓を守りました。
一方、近藤正慎は、月照の行方について拷問を受けますが自白せず、六角牢獄で自ら舌を噛み切って亡くなります。

清水寺は彼らを悼み功績をたたえ、境内で茶屋を営む権利を与えたそうです。
現在は近藤正慎のご子孫は舌切茶屋、大槻重助のご子孫は忠僕茶屋として、それぞれ4代目が営業されているそうです。

なお、清水寺境内の北総門の北には「月照上人信海上人慰霊碑」があり、西郷隆盛が上人を悼む漢詩が刻まれています。