阿蘇神社の行方不明の宝刀・蛍丸の写しが復元され、6月17日、阿蘇神社に奉納されました。
この件をテレビで何度か目にしたのですが、蛍丸を作った来派と菊池一族の延寿は繋がりがあるんですね。
最近、西郷隆盛のルーツを巡って熊本県菊池を訪れたばかりで興味があったので少しまとめました。

阿蘇神社の宝刀蛍丸が復元される

阿蘇神社の大宮司家・阿蘇家と言えば、天皇家や出雲大社の千家家と並んで神代から現代まで続いている稀有な日本の名家です。現在はなんと92代目。

そんな名家・阿蘇家の宝刀として約600年にわたり代々受け継がれてきた刀が、鎌倉時代に名工・来国俊によって造られた大太刀・蛍丸。
阿蘇家の歴代当主は戦に必ず蛍丸を携えていったそうです。

蛍丸は1933年に旧国宝に指定されたものの、終戦直後の1945年、GHQによる刀狩りで行方不明になっており現在も見つかっていません。
名家の宝刀が行方不明とはとても惜しくて歯がゆいですね。

そんな蛍丸ですが、昨今の刀剣ブームを追い風にして、二年越しの写し製作プロジェクトが実を結び、2017年6月17日、晴れて阿蘇神社に奉納されました。
この写しがきっかけとなり、本物も発見されると良いですね。

現在は白鞘の状態なので、拵えまで全て完成するのは約一年後のようです。
日本刀は多くの職人が手間暇かけて大切に大切に作るんですね。

普段は非公開!蛍丸の写しの展示は熊本と岐阜で開催

普段は阿蘇神社に奉納されることになる蛍丸。
この機会を逃すと頻繁には目に出来ないでしょうから、お近くの方は是非ご覧になってくださいね。

  • 【熊本県】肥後里山ギャラリー
  • 阿蘇神社展―刀剣の美―
  • 公式サイト
  • 平成29年8月7日~9月22日
  • 9時30分〜16時30分
  • 休館:日曜・祝日
  • 入場:無料
  • 【岐阜県】関鍛冶伝承館
  • 公式サイト
  • 平成29年9月下旬~10月下旬

今回は6振が製作されたようで、真打は当然阿蘇神社に奉納、影打は関鍛冶伝承館と最高額出資者である刀剣乱舞のゲーム会社社長さんに渡されています。
社長さんは展示したい旨を話されていたので、そちらは見る機会があるかもしれません。

菊池一族と蛍丸、延寿刀の繋がりとは

菊池一族は菊池則隆(藤原則隆)を祖として平安時代から約500年にわたり熊本県菊池を本拠地として肥後を治めた豪族です。
菊池則隆(藤原則隆)は藤原隆家の孫、藤原基定(政則)の子です。

そのお抱え刀工集団が延寿派というわけです。

私は幕末ばっかりなので行かなかったのですが、菊池に西郷さんの史跡巡りに行った時、延寿刀の展示があっており、確かに博物館は賑わいを見せていました。

菊池家10代当主が京都から来国村を招く

菊池家10代当主菊池武房は、元寇で活躍した武将です。
当時、九州には有力な刀工がいなかったことから、菊池武房は京都から来国村を招きました。
来国村は蛍丸を作った来国俊の親戚で、菊池に住んで延寿太郎と称し、菊池延寿派の祖となります。

また、延寿派から実践刀が得意な同田貫が出て、来派→延寿→同田貫という流れで文化が継承されたそうです。

菊池一族と延寿鍛冶展

賑わいを見せていた博物館について、終了していますが少しだけメモ。

  • 菊池一族と延寿鍛冶展
  • 2017年4月1日(土)~5月7日(日)
  • 菊池夢美術館

◆刀 小山左馬助 藤原国勝(同田貫正国)
銘に「木下住」とあるのが菊池市今村木下地区で、菊池が同田貫発祥の地であることを証明する刀だそうです。

◆重要刀剣 短刀 来国俊
十代将軍徳川家治のお七夜に水戸徳川家から贈られたもの。
銘は来国俊とあり、刀剣乱舞の愛染国俊(二字国俊)とは別ですね。

探す人がいる限り

所在不明だった菊池家10代当主・24代当主のお墓が見つかる

来国村を菊池に招いた10代当主菊池武房(1285年没)のお墓はずっと所在不明だったそうです。
それが2016年、熊本県玉名市小島において730年の時を経て発見されました。
これを知った時は鳥肌が立ちました。
最後の当主24代菊池武包のお墓も同じ場所で見つかったそうです。
歴史はこれがあるからすごいですね。

私は幕末が好きで新たな発見があると涙目になるのですが、菊池一族なんて700年以上も前!感慨もひとしおでしょう。
墓前祭も開催される運びだそうで、代々ずっとお墓を守ってきた方が「とっても待たれていた思います」ここでもう涙です・・・

文化の終焉は、人々が忘れた時

文化の終焉は、人々が忘れた時。
モノが無くなった時ではなくて、誰も見向きをしなくなった時。

そういう意味で、昨今の刀剣ブームは日本文化を継承するムーブメントになっているんですよね。
きっかけはゲームのキャラクターでも、継承者がいなくなること、皆が忘れてゆくことが一番怖いんだなと思いました。
菊池家のお墓だって、何百年か歴史から姿を消したとしても、それを知っていて探す人がいたから、守る人がいたから見つかったんだなと。

蛍丸復元のクラウドファンディングも、当初予定の8倍もの資金が集まって復元が実現したのも、それだけ興味を持つ人がいたからに他なりません。
そしてこれから先、探す人がいる限り、行方不明の本物の蛍丸が見つかる可能性だってあります。

700年以上も待ち続けた菊池武房公みたいに、蛍丸もどこかで待っているはず・・・
お墓の発見には何かの縁を感じずにはいられず、蛍丸と重ねてしまいます。
一刻も早く見つかりますように。