新選組の最強剣士ランキング!史実に基づいた最強の剣士”神7″は誰?

新選組といえば幕府側の警察組織として、過激な志士たちを取り締まった腕に覚えのある集団。
そんな腕自慢の集団にあって、本当に強かったのは誰か?
考え始めると楽しい上に結論が出ない(笑)強さについて、今回は史実で検証しながら最強剣士ランキングを発表したいと思います!

史料一:同世代人の証言

新選組で誰が最強か?を語るにあたり、根拠となりそうな史料をいくつか挙げていきます。

元新選組隊士・永倉新八の証言

新選組二番隊隊長で神道無念流の使い手であった永倉新八。
彼は後年、新選組では服部武雄が一、二の使い手であったと話しています。

また「沖田は猛者の剣、斉藤は無敵の剣」とも語っています。

更に沖田総司については、「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた、恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と話しています。

屯所・八木為三郎の証言

八木為三郎は、新選組が壬生の八木邸に屯所を置いていたころの八木家のご子息。
後年の証言で、永倉新八のことを隊中で一二を争う使い手であると言っています。

元新選組隊士・阿部十郎の証言

阿部十郎は、伊東甲子太郎の御陵衛士に加わり、油小路の変では仲間を新選組に惨殺されており、いわば近藤土方の新選組めっちゃ嫌い!という立場の人ですが、そんな彼が、明治になってから史談会でこう証言しています。

沖田総司、これがまあ勇の一番弟子で、なかなかよく仕いました。
その次は斎藤一と申します。
それから是は流派が違いますが、永倉新八という者がおりました。
この者は沖田よりもちと稽古が進んでおりました。

つまり、阿部十郎的ベスト3は、1永倉、2沖田、3斉藤です。
袂を分かった阿部十郎の証言ですから、割と客観的な判断かと推測できます。

他にも藤堂平助については「なかなか剣術はよく使いまして、また文字もございます」としています。

桑名藩士・小山正武の証言

桑名藩士小山正武は、史談会速記録で「藤堂平助もまた有名の智勇ともに衆に秀でたる人」としています。
剣の強さに言及していないので何とも言えませんが、「沖田、永倉、斎藤とともに新選組四天王と呼ばれた」とも語っており、四天王と言うからには強かったと推察します。

また、新選組と袂を分かった伊東甲子太郎率いる御陵衛士が、酒に酔わされて新選組に惨殺された油小路の変において、小山はこの暗殺現場を翌朝に見ていて、後にこう証言しています。

当時、新選組多しといえども剣術においては服部三郎兵衛氏(服部武雄)によく敵するほどのものはいない。敵の伏兵大約四、五十人が前後左右から、たちまち起って攻撃してきたところが、服部両刀をふるい斬っつけ斬っつけやったが、服部三郎兵衛の勇猛なる剣術の妙手には、敵もみな驚いてしもうたということを、当時新選組の一、二の人士から私がのちに確かに聞き得たるところである。

服部武雄が一番強かったと言った永倉新八の話もありますし、信ぴょう性が高いですね。

西本願寺・西村兼文の証言

新選組が西本願寺に屯所を置いていたころ、侍臣であった西村兼文は、沖田総司について「近藤秘蔵の部下にして、局中第一等の剣客なり」と証言しています。

また藤堂平助に関しては、「経済に達し、撃剣を能くす。」としています。

史料二:新選組内での役職

新選組内での役職は、強さとある程度比例しているでしょう。

自分よりめちゃんこ弱い人が隊長だったら、やる気出ませんよね。士気に関わります。
それは現代でも同じで、自分より仕事出来ない上司ってやる気そがれますよね笑

というわけで、強そうなポジションをピックアップしてみましょう。

隊長

慶応元年5月ごろの編成で、新選組では隊士を1~10番の組に分けて、それぞれ組長一人、伍長二人、各組に10名前後の平隊士がいました。
この編成も疑義はあるものの、隊長をピックアップします。

  1. 沖田総司
  2. 永倉新八
  3. 斉藤一
  4. 松原忠司 ※柔術師範
  5. 武田観柳斎 ※文学師範
  6. 井上源三郎
  7. 谷三十郎 ※槍術師範
  8. 藤堂平助
  9. 鈴木三樹三郎
  10. 原田左之助 ※槍術

1、2、3番組長は、阿部十郎の証言と重なりますね。
この3人は強かったと思ってまず間違いないでしょう。

※この印を付けたのは、今回は最強の剣士ランキングなので、隊長だし強かったと思うけど剣士じゃないよって意味です。師範は次に述べますが、隊士らに教える役職だった人なので、特に強いはずです。

こう考えると、隊長の中で沖田、永倉、斉藤以外の剣士は井上、藤堂、鈴木しかいません。
永倉の証言によると、井上、藤堂、土方、山南は沖田に子ども扱いされたとあるので、井上と藤堂の強さの格は落ちるでしょう。
とはいえ、藤堂は阿部と西村の剣術よく出来たよっていう証言や、小山の新選組四天王説があるため、外すのはもったいない(笑)感じがします。

鈴木については勝手な推測をすると「伊東派から一人は隊長に入れよう、伊東さんの実弟だし鈴木君がベストじゃない?」っていう政治的判断が見え隠れします。
隊長ポジションだった以外に特別強いという史料が無いので、こちらも少し落ちるでしょう。

というわけで、ここまでの検証で強かった人というのは沖田、永倉、斉藤、服部武雄の4名でしょう。
その下に続くのは藤堂がちょっと抜けてて、井上、鈴木?って感じ。
引き続き検証します。

撃剣師範

新選組には、各種の師範が置かれました。
撃剣、柔術、槍術、砲術、文学、馬術などそれぞれの師範です。

強さを検証するにあたり、特に注目すべきは撃剣師範ですね。
腕自慢の新選組隊士たちに、剣術を師範する役ですから、まず強かったことは間違いありません。

この撃剣師範の役職に就いた人です。

  • 沖田総司
  • 斎藤一
  • 永倉新八
  • 田中寅三
  • 新井忠雄
  • 吉村貫一郎
  • 池田小三郎

やはりここでも沖田、永倉、斉藤の三人はセットのように出てきます。
注目すべきは、彼らと肩を並べている4人です。

田中寅三

元治元(1864)年10月に新選組に入隊しています。
あとは詳細不明なので追記するかも笑

新井忠雄

元治元(1864)年、31歳で新選組に入隊するという遅咲き?ながら撃剣師範になっています。
のち伊東甲子太郎の高台寺党に参加し、油小路の変では薩摩藩邸に逃げて明治まで生きました。

吉村貫一郎

吉村は鹿島新當流の高弟との記録があり、剣術の腕前は確かなようです。
慶応元年に27歳で新選組に加わって撃剣師範となっていますが、鳥羽伏見の戦いで戦死するのが慶応4年1月ですので、新選組在籍は実質二年ほどです。
この短期間で撃剣師範ということは、相当腕を買われていたと推測できます。

池田小三郎

元治元(1864)年10月に22歳で新選組に入隊しています。
鳥羽伏見の戦いで26歳で戦死しますが、この若さで撃剣師範ということは強かったはずです。

史料三:実戦での報酬

実力主義なら報酬である程度強さが分かるかも?
というわけで、試しに新選組で一番有名な池田屋事件を見てみます。

池田屋事件

池田屋事件で、幕府は新選組に600両の報奨金を与えています。
その分配額が大きいものを上位4つ見てみます。

  • 金30両:近藤勇
  • 金23両:土方歳三
  • 金20両:沖田総司永倉新八藤堂平助谷万太郎、浅野藤太郎、武田観柳斎
  • 金17両:井上源三郎、原田左之助、斎藤一、篠原峰三、林信太郎、島田魁、川島勝司、葛山武八郎、谷三十郎、三品仲治、蟻通勘吾

特に池田屋に最初に到着した近藤隊10名のうち、中に斬り込んだ4名は赤字、表と裏口を固めた3名は青字にしました。(ほか金20両の奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門は死亡)
こう見ると、実力というより最初に到着したという運で決まっているので、ちょっと実戦における報酬はあてにならないかもしれません。

ただ、近藤隊10名の中でも斬り込み要員に選ばれている近藤、沖田、永倉、藤堂は強かったはずです。

ここまで見てくると、藤堂、井上、鈴木、撃剣師範の田中、新井、吉村、池田の中からここでも藤堂が頭一つ抜けたか?という感じです。
てことで頭二つ抜けた藤堂を加えて、沖田、永倉、斉藤、服部、藤堂の5名が強かったはず。

史料四:近藤局長の敵地での護衛

慶応元(1865)年11月、将軍家茂は、第二次長州征伐のため大目付・永井尚志らを訊問使として広島に派遣して長州藩と会談しています。
これに同行したのが、近藤勇と新選組隊士数名。
この時近藤は、故郷に「自分に何かあったら新選組は土方、天然理心流は沖田へ」と手紙を書いており、相当の覚悟でした。

仲間を惨殺した新選組が向こうからのこのこやってくるとは、長州としてはぶっころ!ですよね。
そこは近藤はもちろん分かっているので、自身は変名した上、お供にはガチで強くて信用できる人を連れて行きました。

そのとき選ばれているメンバーが、諸士調役兼監察の山崎烝、吉村貫一郎、芦屋昇、新井忠雄、服部武雄です。
マジで強いメンツと思って間違いないはずです。

新井と吉村はここでもポイントゲット。
というわけで、沖田、永倉、斉藤、服部、藤堂、新井、吉村の7名が強かったはず。

史料五:幕臣への取り立て

慶応3(1867)年6月、新選組は幕臣に取り立てられます。
意外ですが、京都を取り締まる今でいう警察組織は、正規職員(?)が京都見廻組、非正規職員が新選組でした。
幕末でも、正規だ非正規だって問題、あったんですね・・・
幕臣取り立てでやっと、新選組も京都見廻組と同じく正規になれました。

しかし慶応3年って、思いっきり幕府瓦解の半年前です。切ないですね。

ともかく、この幕臣に取り立てられた記録を見れば、割と総合的な実力で判断されたんじゃない?と思うわけです。
ほぼほぼ役職に通じますが、見てみましょう。

  • 見廻組与頭格:近藤勇(局長)
  • 見廻組肝煎格:土方歳三(副長)
  • 見廻組格:沖田総司永倉新八、井上源三郎、原田左之助、山崎烝、尾形俊太郎(副長助勤)
  • 見廻組並:吉村貫一郎、大石鍬次郎、安富才輔、岸島芳太郎、安藤勇次郎、茨木司、村上清、谷周平(調役

これまで名前があってここに無い斉藤、新井、鈴木、藤堂、服部は、この時点で御陵衛士として新選組とは袂を分かっていました。悲しい。

つまり?

ここまで史料をそろえて見てくると、ある程度分かってきた気がします。
以上から複数のポイントをゲットした人をまとめてみましょう。

  • 永倉新八:二番隊隊長、阿部的ナンバー1、八木的ナンバー1、撃剣師範、見廻組格、池田屋、四天王
  • 沖田総司:一番隊隊長、阿部的ナンバー2、西村的ナンバー1、撃剣師範、見廻組格、池田屋、四天王
  • 斉藤一:三番隊隊長、阿部的ナンバー3、撃剣師範、四天王
  • 服部武雄:永倉的ナンバー1、桑名藩小山的ナンバー1、広島護衛
  • 藤堂平助:八番隊隊長、池田屋、四天王
  • 吉村貫一郎:撃剣師範、見廻組並、広島護衛
  • 新井忠雄:撃剣師範、広島護衛

この7名が神7ではないでしょうか!

ちなみに、土方、山南は沖田に子ども扱いされたってのもあるけど笑、近藤や伊東含めて管理職はランキングから除外します。
管理職だった人って現場に出ても指揮などがメインで、剣士としての個人の強さは分からないのでね。

というわけで、トップ7発表!!

第7位 藤堂平助

第7位は藤堂平助。
撃剣師範じゃないし、池田屋も運の要素があるし・・・というのが気になってここ笑
でもベスト7ってとても強い剣士です。

第6位 新井忠雄

新井忠雄は幕末好きからしても無名の人ですが、新選組の撃剣師範という役職を得ている点で強さは折り紙付きのはず。
撃剣師範かどうかという点で、藤堂より上位にランクインとなりました。

第5位 吉村貫一郎

沖田、永倉、斎藤という主立った面々ともに新選組の撃剣師範を勤めていた吉村貫一郎。

よくある誤解に、壬生義士伝(ドラマ&映画)で彼が一番強かったというフィクションが作り上げられた!というのがありますが、正直、このドラマや映画が出てくる前から、史実では吉村貫一郎が強いというのは認知されていました
出てきたときはへ~吉村メインとはなかなかコアなファンが製作側にいるんじゃない?という気持ちでした笑
一番強いかはさておき、トップ5には入りそうです。

隊長らと肩を並べての撃剣師範という役職は、やはりおおおお?!って思うポイントです。
人を率いるポジション(隊長)は好まなかったのか任されなかったのか分かりませんが、とにかく強いからお前先生は絶対やれよ!ってことなのでね。
近藤局長に連れまわされてるの見ると、気に入られてもいたようだし能力の高い人だったのでしょう。

第4位 斉藤一

斉藤一は4位となりました!
「新選組で斉藤が一番強かった」という証言が無いのでとりあえずこの位置でごさいます。
新選組内部粛清で一番人を殺したと言われる斉藤ですし、撃剣師範だし、強かったことは間違いありません。

第3位 服部武雄

永倉新八が最強だと名指ししているのが服部武雄です。
これは大きい。
永倉が一番強いのは沖田とも斉藤とも言わず、服部武雄と言った、この一点だけとっても斉藤一より上位にランクインする理由になると思います。
桑名藩の小山さんもナンバーワンだと言っていますしね。

次にあげる沖田より強いかというと、沖田は一番隊隊長であり西村や阿部の証言もあるので、服部は第3位が一番いい位置だと判断しました。

第2位 沖田総司

西村兼文の証言ではナンバーワン阿部十郎の証言では二番目に強かったとされる沖田総司。
若くして新選組一番隊隊長を勤めていますし、撃剣師範ですし、近藤土方の愛弟子というか愛兄弟弟子?というひいき目を抜いても、強かったのは間違いないと思われます。

第1位 永倉新八

阿部十郎や八木為三郎の証言で、一番強かったとされる永倉新八。

池田屋事件では、近藤、沖田、藤堂、永倉の4名で突入しています。
突入当初、池田屋にいた新選組隊士は10名ですが、他は裏口を固めるポジションなどに割り振られていたことから、正面突破のポジションを取ったこの4名は、マジで厳選された精鋭だったでしょう。

永倉新八は神道無念流の使い手でした。
桂小五郎が塾頭を務めるなど長州藩士が多かった練兵館の方ではなく、撃剣館の方で学んでいます。
新選組の主要メンバーは天然理心流で、特に沖田は幼いころからの近藤土方の愛弟子でもあり、一番隊隊長から外すのはメンツにも関わります。
近藤-土方-沖田のラインは崩せない。
なので、永倉新八が他流派の神道無念流なのに二番隊隊長を勤めたのは、沖田と同等かそれ以上の強さだと認められていたからでしょう。

もちろん、もはやランクイン条件となってきた(?)撃剣師範も務めていますし、証言も勘案するに、彼が剣士としては一番強かったことが分かります。

おわりに

神7、いかがでしたでしょうか。
最強剣士ランキングって、考えるだけで楽しいですよね!

なかなか決着のつかないこの議論ですが、出来るだけ資料を引っ張ってきて客観的にランクインさせたつもりです!
納得いかなくても笑、なるほど~その史料そう読むのね、なんて楽しんでいただけていれば嬉しいです。