天領・日田にあった日本最大級の私塾
咸宜園は、幕末の儒学者・広瀬淡窓が24歳の時、文化2(1805)年に設立した私塾です。
淡窓の死後も引き継がれ、明治30年に閉塾するまでの約90年間で、全国から集まった約4,800人の子弟を教育しました。
昭和7年には国の指定史跡となっています。
当時のまま現存する建物は、秋風庵(写真)、遠思楼、西塾にあった井戸のみです。
平成22年に咸宜園教育研究センターが隣接され、咸宜園の調査研究が行われ、公開展示室や関係資料の閲覧が可能です。
幕末の有名な塾生には、大村益次郎、高野長英、上野彦馬らがいます。
淡窓は1856年に没しますが、それ以後にも、清浦圭吾などを輩出しました。