西南戦争で薩軍の野戦病院となった延寿寺
延寿寺は、鎌倉時代はじめに川尻の荘の地頭となった河尻三郎実明が、河尻家の祈願所として建立した天台宗寺院です。
明治10年2月、西郷隆盛は「明治十年戦役南洲翁本営跡」の碑のある塩飽屋に本営を置きますが、はじめはこちらの延寿寺に置いていたようです。
境内には、「薩軍本営並野戦病院跡」の碑が建っています。
鹿児島を発した薩軍は2月20日に先遣隊が川尻に到着、21日に西郷隆盛が到着すると、ここ延寿寺で軍議を開き、熊本城攻撃を決定しました。
西南役薩軍戦没者墓碑
延寿寺はのち兵站基地(後方支援の基地)、野戦病院となり、戦没者約850名が仮埋葬されて薩州墓と呼ばれました。
戦後、遺骨は遺族によって故郷に引き取られましたが、無縁仏となった方もあり、大正5年2月に遺骨を集めて合同碑・西南役薩軍戦没者墓碑が建立されました。
現在も、三州会(薩摩・大隅・日向)により毎年4月に碑前で慰霊祭が執り行われています。
延寿寺(西南戦争薩軍野戦病院・戦没者埋葬地)
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