西郷隆盛の先祖・菊池一族と西南戦争関係の史跡を巡る

熊本県菊池市は、菊池一族の本拠地です。
西郷隆盛は菊池一族の末裔であり、また菊池は西南戦争の戦場にもなったため関係史跡が残されています。

菊池神社(菊池城跡)

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡・菊池神社

菊池神社は明治3(1870)年に菊池一族が本拠地とした菊池城のあった場所に建てられた神社です。
12代武時、13代武重、15代武光が主祭神として祭られ、16代武政以下一族26名が配祀されています。

慶応4年7月17日の江戸を東京と改称した当日に、明治天皇が「菊池氏は累代皇室に勤労し忠臣の模範である」として祭祀を命じられ、明治3年4月28日に菊池神社が完成しました。
明治11年1月10日に別格官幣社とされています。

菊池城は山城であり、冒頭の写真、銅像の後ろ一帯が菊池神社(菊池城跡)になります。

菊池本城本丸跡

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡

菊池神社境内にある歴史資料館に入る階段をのぼった先に、菊池本城本丸跡の碑が建てられています。
左右にも石碑らしきものがありますが、傾いて壊れておりよく分かりません。
この菊池本城本丸跡の碑も、歩道脇に埋もれているためつい見過ごしてしまいます。

西南戦争官軍墓地 

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡・西南戦争官軍墓地

菊池公園内に、明治初年から太平洋戦争までの菊池郡北部の戦死者約1,600柱の位牌をおさめた平和塔が建立されています。
題字は当時の吉田茂首相よる揮毫です。
西南戦争で戦死した官軍の墓地が、平和塔の裏にあります。

西覚寺

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡・西覚寺

西南戦争の際、薩軍本営となったお寺で、「西南の役において西郷南洲公からの協力依頼で物心両面にわたり命をかけて尽力申し上げた」とあります。
門前に「西南ノ役西覚寺本陣跡」の碑が建立されています。

西照寺

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡

西南戦争の際、薩軍の病院となったお寺です。

西南の役菊池の戦い薩軍碑

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡

市営渕園団地入口に碑が建っています。

菊池の戦いの時、薩軍の宿泊所には音光寺、広現寺、民家などがあてられました。
この戦いでは官軍38名(城山に埋葬)、薩軍300名近くの戦死者が出て、長らく薩軍戦死者の埋葬地は不明でしたが、音光寺住職により渕園墓地に埋葬されていたことが分かったそうです。
西南戦争が終わって110余年後のことでした。

墓標は楠の木と伝えられているそうですが、場所ははっきりしていないのか、この渕園団地の碑の場所なのか?
この碑には建立の経緯や日付が一切書かれていませんが、そばに平成7年の史文の碑がありますので、その時に建てられたものと推測します。

増永城跡

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡・増永城跡

増永城は菊池十八外城の一つで、菊池氏初代菊池則隆の子、西郷政隆が開いた平城です。
西郷氏代々の居城ですが遺構は井戸、土塁、五輪塔を残すのみです。
城主の名が村の名として残っており、一帯は菊池市七城町の西郷地区のようで、西郷公民館があります。

西郷氏は菊池氏が没落すると26代の時に薩摩に移り住み島津氏に従っており、初代西郷政隆から32代目が明治維新の立役者・西郷隆盛です。

西郷南洲先生祖先発祥之地 

西郷隆盛の先祖・菊池氏と西南戦争関係史跡・増永城跡

増永城跡から100mほどの場所に碑と説明板が立っています。
碑文は徳富蘇峰の筆によります。